中嶋謙互氏と日本システムサプライの歴史

了解しました。有名な開発者「中嶋 謙互」さんが学生時代にバイトしていた「大阪の小さなソフトハウス」がどこなのかを特定するために調査を開始します。彼の経歴やインタビュー、関係作品などから手がかりを探ってみます。少々お待ちください。

中嶋謙互が学生時代に勤務していた大阪のソフトハウス

会社名と概要

中嶋謙互氏が大学生時代にアルバイトとして在籍していた「大阪の小さなソフトハウス」は、日本システムサプライ株式会社(略称:JSS)ですja.wikipedia.org。本社は大阪府吹田市江坂町にあり、1985年設立のゲーム開発会社でした。コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム)からオンラインゲームまで手掛け、後に日本初期の本格MMORPGを開発したことでも知られていますja.wikipedia.orgja.wikipedia.org。しかし2000年10月、同社は不祥事に巻き込まれて経営が行き詰まり、最終的に大阪地方裁判所から破産宣告を受け倒産しましたja.wikipedia.orginternet.watch.impress.co.jp。倒産に際して、一部スタッフは他社(例:ドワンゴ)へ移籍していますja.wikipedia.org

主な作品と当時のプロジェクト

日本システムサプライ(JSS)は、小規模ながら特徴的なゲームを開発していました。コンシューマー向けの代表作には、任天堂64向け3Dアクションゲームの 『カメレオンツイスト』シリーズ(1997年など)がありますja.wikipedia.org。また、発売中止となったバーチャルボーイ向けソフト『バウンド・ハイ!』の開発元として名前が挙がるなど、ユニークなプロジェクトも手掛けていますja.wikipedia.org。オンラインゲーム分野では、**『Lifestorm』(ライフストーム)および『Lifestorm II』**といった中世ファンタジー世界観のMMORPGを開発しました。1998年にサービス開始されたこれら作品は「国産初のMMORPG」とも称される先駆的存在でしたja.wikipedia.org。また石器時代をテーマにしたMMORPG 『ストーンエイジ』(1999年)も開発しており、当時まだ常時接続環境が普及していない中でオンラインゲームに挑戦していましたja.wikipedia.orgja.wikipedia.org。結果的にユーザー数の伸び悩みなど課題も抱えましたが、日本のオンラインゲーム黎明期を切り拓いた会社と言えます。中嶋謙互氏が学生アルバイトとして在籍していた1990年代半ば頃、JSSではいくつかのPlayStation向けタイトルの開発にも関与していました。具体的には、プロ雀士を題材にした本格麻雀ゲーム 『小島武夫 麻雀帝王』(1996年発売)や、有名F1レーサーの名を冠したカートレースゲーム 『アイルトン・セナ カートデュエル』(1996年発売)といったプロジェクトですgdri.smspower.org。これらPlayStation作品の開発をJSSが下支えしていました(麻雀帝王には同社スタッフのプログラマー名がクレジットに残されており、カートデュエルではスタッフロールにJSSへの謝辞が記載されていますgdri.smspower.org)。中嶋氏自身、「大学時代は大阪のゲーム会社でオンラインゲームを作るバイトをしていた。先輩に『手が足りないので手伝え』と言われて始めたんです。プレイステーションのゲームの他、96年に『Lifestorm』のJava版、97年にWindows版を作り、それぞれ数万本ずつ売れました」と述懐しておりinternet.watch.impress.co.jp、当時これらのPlayStation用ゲーム開発に携わりつつ、自らMMORPGの開発にも取り組んでいたことがわかります。しかしながら、同氏によれば当時関わった麻雀ゲームやレースゲームは「あまり成果を出せなかった」ものだったようです。実際、『小島武夫 麻雀帝王』や『アイルトン・セナ カートデュエル』は大きなヒット作とはならず、後年のインタビューでも言及は少なめです。一方で、中嶋氏が**ゼロから開発したオリジナルMMORPG『Lifestorm』**は、Javaアプレット版(1996年)から始まり翌年にはWindows版が完成、合計で数万本規模の売上を記録するヒットとなりましたinternet.watch.impress.co.jp。当時の日本ではMMORPG自体が珍しく、テレホーダイ(深夜帯定額ダイアルアップ)の普及と相まって徐々にユーザーが増え始めた時期でありinternet.watch.impress.co.jp、『Lifestorm』の成功は中嶋氏にとって大きな転機となりました。

東京の大手企業への移籍の経緯

『Lifestorm』の完成と成功により、中嶋氏の存在は大手ゲーム企業からも注目されるようになります。実際、エニックス(現スクウェア・エニックス)の社内に中嶋氏のJava版『Lifestorm』の熱心なファンがいて、「一緒に仕事をしよう」という話が持ち上がったといいますinternet.watch.impress.co.jp。ちょうどその頃(2000年)、前述のとおりJSSが詐欺事件に巻き込まれて倒産してしまい、中嶋氏は今後についてエニックス側に相談を持ちかけましたinternet.watch.impress.co.jp。エニックスからは「やりたいことを全部実現するには、エニックスの社員になるのではなく起業するしかない」と助言されinternet.watch.impress.co.jp、これをきっかけに中嶋氏は自ら新会社を立ち上げて東京で活動する道を選びます。こうして2000年にコミュニティーエンジン株式会社を創業し(共同創業者は『Lifestorm』Windows版を共に作ったプログラマー)internet.watch.impress.co.jp、オンラインゲーム用ミドルウェア「VCE(Virtual Communication Engine)」の開発など事業を展開しました。コミュニティーエンジン社はネットワークミドルウェアVCEの開発実績が評価され、スクウェア・エニックスグループの一員として迎えられるなど東京で大きく飛躍することになりますinternet.watch.impress.co.jp。以上のように、中嶋謙互氏の学生時代を支えた大阪の小さなソフトハウスは**日本システムサプライ(JSS)**であり、同社でのPlayStation向け麻雀ゲームやレースゲーム開発の経験、そして自主制作したMMORPG『Lifestorm』の成功が、その後の中嶋氏のキャリアの礎となりましたinternet.watch.impress.co.jpinternet.watch.impress.co.jp。参考資料:

  • 中嶋謙互氏 インタビュー(INTERNET Watch, 2009年)internet.watch.impress.co.jpinternet.watch.impress.co.jp
  • 日本システムサプライ(JSS)会社概要・作品一覧(Wikipedia)ja.wikipedia.orgja.wikipedia.org
  • Game Developer Research Institute: Japan System Supply(開発タイトル一覧)gdri.smspower.org
  • INTERNET Watch「ITベンチャー社長に聞く!」(コミュニティーエンジン社紹介)internet.watch.impress.co.jp